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アドラー心理学

アドラー式子育て|片付けたい子供部屋!「課題の分離」でスッキリ!?

子育て中、数々の悩みがあると思いますが、その内のひとつ。

部屋が片付かない!!

片付けられない理由は色々です。
大人だけで暮らしていた頃と違って、オモチャや学校用品など、子供ならではの持ち物が増えていきますし、子供が物を出しっ放しにしてしまう場合もあります。

そんな時は「課題の分離」を応用して、アドラー式にスッキリ解決!!
…したいですが、そんなにうまくいくのでしょうか!?

目次

アドラー心理学は部屋の片付けにも使えるの!?

仕事、子育て、親戚付き合い…。
あらゆる対人関係の悩みに応用できる、アドラー心理学。

さて、「散らかった部屋」というのは、対人関係の悩みと言えるのでしょうか?

それとも、「散らかすのはあくまでも人間」なので、アドラー心理学が通用するのでしょうか?

片付けに課題の分離を応用してみよう

「課題の分離」は、アドラー心理学における重要なキーワードのひとつです。
最終的に責任を取るのは誰なのかを明確にし、自分の課題他者の課題に分離します。

他者の課題には踏み込まず、自分の課題にだけ注力すれば良いので、物事をシンプルに、
効率よく進める為に有効な考え方です。

片付けも、シンプルに効率よく進むとしたら、理想的ではないでしょうか!?

「部屋の片付け」という問題に対して「課題の分離」
部屋の前に、まずは悩みそのものを整理整頓してみましょう。

最終的に責任をとるのは誰なの?

子供部屋が散らかっている場合、誰の課題なのかは明白です。

子供部屋の責任者は子供でしょう。

リビングやダイニングは、家族みんなが共有する場所です。
もし来客があれば、一番見られますし、キレイに片付けておきたいですよね。
このような共有スペースの責任者はとしましょう。

お風呂などの家族共有スペースは、掃除や片付けが当番制の場合もあるかもしれません。

それでも、最終的な責任者という意味ではが適していると思います。

子供が片付けないのは子供だけの課題なの!?

子供部屋が散らかっていても、それは子供の課題です。
親が踏み込んではいけません。

…こんな風に、すっぱり割り切る事ができますか?

子供の年齢にもよりますが、もし子供が助けを求めてきたら、
どうするのかも悩みどころです。

アドラー式では、叱らず、過剰に助けたりもせず、勇気づけが推奨されるでしょう。

「部屋が散らかっていると、モノを踏んで壊してしまったり、転んでケガをしてしまうかもしれないから、片付けて欲しいな」
「キレイな部屋の方が気持ちよく過ごせると思うよ」

横の関係や勇気づけを意識すると、こんな感じの対応になるでしょうか。

しかし、私なら、
「こんなぬるい対応でキレイになるくらいなら、最初から散らかってないよ~!!」
と叫んでしまいそうです…!

部屋が散らかっていても、それは子供の課題なので、
介入しない、叱らない、信頼関係を築けるような言葉かけ…を心がけて過ごした結果、
出来上がってしまったのが「散らかり部屋」だったとしたら、どうでしょうか。

アドラー式の子育てをしようと決意して、実践しているのは親である私自身の都合です。
子供がアドラー心理学を持ち込んできた訳ではありません。

我慢ならないほど散らかった子供部屋の責任の一端は、親にもあると思うのです。

子供の課題には絶対に関わっちゃダメなの?

何事も絶対ということはありません。

何をどこまでが許容範囲なのか、人それぞれ違うと思います。
大切なのは、無理のないルールを決めること。

アドラー心理学的には、子供に対して賞罰を与えるのは良くないと考えられていますが、

「外から帰ってきたら、手を洗わなければおやつはあげられない」

のようなルールは、悪い事とは思いません。
何を大切にしたいのか、何を優先するかなのです。

「手を洗ったらおやつを食べようね」
と、ポジティブな言い方に置き換えているだけです。

子供部屋の片付けでも、

「収納できないほどのモノがあるなら、不用品を処分しよう」
「何日までに片付けないなら、お母さんが片付けるよ!」

と、一緒に作業をしたり、約束することもできると思います。

捨てられたくないものは、片付けてくれる可能性が高いです。

ルールや約束は、必ず子供と共有してくださいね!
勝手にモノを捨てるのは絶対ダメです。
信頼関係が崩れてしまいます。

まとめ

  • 子供部屋の片付けの責任者は子供か親か、明確に仕分けるのは難しい!
  • 片付けに関する約束やルールは子供と共有しよう!

モデルルームのようなステキな部屋、憧れますよね。
しかし、やはりモデルルームは理想であって現実ではありません。

完璧ではない自分自身を受け入れるのと同様、完璧ではない部屋も受入れ認めるのです。

現実では、使いやすさ清潔安全などが優先されると思います。
(これは決して片付かない言い訳ではありません…!?)